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北海道命名の地

「北海道」の命名の碑を訪ねて

 <音威子府村に向かって>


天気/曇り 出発地/札幌市(朝8時)
目的地/北海道命名の碑(音威子府村)
移動手段/レンタカー




松浦武四郎という人

江戸時代の日本の冒険家といえば伊能忠敬、間宮林蔵が有名ですが、北海道を知るには、松浦武四郎(1818年~1888年)が最も興味深い人物といえます(※1参照)。その功績は・・・

  1. 文字をもたないアイヌ民族の言葉を覚え/地名に漢字をあてたこと。(※2アイヌ民族)
  2. アイヌ集落の生活形態をみて、地域分けを構想したこと。
  3. 道路作りの基礎となる調査を行ないながら探検したこと。

といえます。

松浦武四郎とアイヌ人


豊かな自然がある蝦夷地

北海道の各地の地名(町、川、山、港、平地)はアイヌ語が起源と言われていますが、その源は武四郎の自費調査というから驚きです。

では、なぜ何度も自費で調査したのでしょう。
北海道に多くのアイヌ民族集落(コタン)を構えて豊かに生活し、またはオホーツク民族が住み、北の動物/ヒグマ、シマフクロウ、タンチョウ、オジロワシなどを神として生きている。アイヌも動物も、水が安全で、肥えた土地、豊かな海があることで、飢えることなく伸び伸び暮らしている。「生きる」場所としては申し分のない土地が北にある。それを目の当たりにしたことで、天災,飢饉で疲弊した日本を救う土地になる、と判断したのではないでしょうか。

サロベツ原野



日本海沿岸を北上する

日本海沿岸を北上する

松浦武四郎に関する記述は北海道各地にたくさんあります。資料館、博物館には武四郎が登場します。北海道のみんなに愛されているからです。
道東の知床、国後島、択捉島の調査を行ったことは有名ですが、私たちは、札幌を出て日本海を北上することにしました。



「北海道」の命名の碑を訪ねて

札幌~石狩~増毛~留萌~小平~羽幌~天塩~中川~音威子府(北海道命名の地記念碑)を移動しました。天塩川をつたって内陸部に入り音威子府に向かう道を進みました。神居山と天狗山に挟まれ天塩川が大きく蛇行するその場所に「北海道命名の地」記念碑があります。

この記念碑は1995年に村の有志により建てられ、昨年2011年に北海道が新たに立て替えました。北海道に数多くある武四郎の記念碑の中でも代表的なものです。

武四郎が天塩川の探検を記した「天塩日誌」によると、この近辺に住んでいたアイヌの長老アエトモにアイヌ語を教わったとあります。武四郎はアトモエから、「カイ」という言葉を教わります。「カイ」とはアイヌの国のことで「加伊」という漢字を当てました。

日本人(和人)が使っている、未開の地(蝦夷)はカイであり、蝦夷=カイと考えました。ここは「北の蝦夷の国」であるということから「北加伊道(ほくかいどう)」という地名を政府に提案し、後に、加伊を海に当て「北海道」となりました(東海道、南海道に合わせたものと考えられます)。



北海道命名の地で見つけたもの

雄大な天塩川を眺めていると、河口からこの場所まで川幅は一定で、流れは穏やか。アイヌ人にとってこの川は、丸太舟での往来がしやすい母なる川であったと思います。石狩川同様に、この川沿いにアイヌの集落が広がっています。この地形に沿って武四郎は進みました。

車からこの場所はわかりにくいのですが、舟からは見ると河原が広いるこの場所は目印でした。しかも、浅瀬になっているので、舟の入り江(浦)になり、アイヌ人の出入りの場所/要所になったことがわかります。佐久というコタン(集落)ができ、音威子府ができました。そして、どんどん川上に生活の場を求めて「加伊」が広がったようです。

狩猟民族のアイヌは豊かな土地を求め歩きます。北海道には数多くのアイヌ部落が広がっているのが特徴で、昔から豊かな土地だったことが分布でわかります。

開拓によって、外の文化や技術が一斉に北海道に持ち込まれました。ここには、「そば」が伝わりました。元々豊かな土地に農業技術や漁業技術が持ち込まれ、一気に注目の土地になりました。まだまだ眠っている価値があるでしょう。



文/悠悠北海道 井関旭